篠田節子『砂漠の船』
2004年12月2日 読書ばらばらだ……。何もかも終わった。幹郎は、父と母が出稼ぎ労働者であった淋しい家庭に育ったが故に、家族が一緒に暮らす平凡な家庭をつくることを第一に生きてきたが……。円熟の直木賞作家篠田節子が、細密画のように描くひび割れた家族の肖像。現代の家庭事情を丁寧に描き出している。人々の求めた古き良き「家庭」は、現代社会では叶わぬ夢となってしまったのだろうか。
主人公は理想の「家庭」を構築し堅持することを当たり前と考え、そのために努力して来た。その結末はあまりにも寂しい。
「家庭」のために「個」を殺して来た時代は終わり、「個」を追求する時代が訪れたのかもしれない。現代では、「家庭」を構成するために「個」が寄り集まるのではなく、「個」が集まった結果、自然と「家庭」が構成されるべきなのだろうか。言うのは簡単だが、その実現が極めて難しいことは言うまでも無い。
何かが心に引っかかる読後感。漠然とした不安と寂寥感が切ない。
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